本当の信仰者が今を終末と考えるならきっと悔い改めるだろう。偽者の信仰者が今を終末と考えるなら私を助け守ってほしいと祈るだろう。神の長きに渡る人類に対する切なさを知ったなら本物の信仰者は犠牲となっても神様に人類をつなごうとする。偽者の信仰者は自分だけが神様につながろうとする。両方とも神を信じるものだが・・・・「沈黙」という小説があった、古い日本の隠れキリスト教信者の話があったが赤裸々に書かれた描写が印象的だった。信仰とは人に見せるものでなく、口に語れるものでない。神との交わりの中で切実に深みを知り、神と共にありその奥義を知ったなら後戻りはできない、捧げ者の心なくしてはいける道ではない。宗教は様々あれど神はひとつ、神と人類が織り成す真の歴史は?信仰の友というけれど神を語りながら欺くものもある、これらのものはすぐに暴かれサタンのとりことなっている。終末にある信仰者は聖書にも書かれているように「不法がはびこり教会の兄弟姉妹の愛が冷える」と知っている時を知り備えられるものになろう。神の御力は偉大で人の域をはるかに超える。終末を過ぎれば神の偉大な祝福が待っていること、それを信じて乗り越えなければならない。